2007年5月7日月曜日

死について

死ぬとは何か。それについて、深く考えた事は無かった。

しかし昨日は考えた。

特に身近な人がなくなった訳ではないのだが。。。


こと、自分の死という物を考えるものではないと言うのが僕の意見である。

なぜなら、「コントロール不能」であるから。

いつ死ぬかなんて誰も分からない。

考えるとは未来をより良くするためのものである。

不可避ではあるが、コントロールの範疇を超えているものを思考の中に入れても全く無意味だと感じている。

できることは「今」を大切に生きる事だけ。

志半ばで死が訪れても、そこまで本気で走ってきたのであればしかたないこと。

例えば、百メートルを透明人間と勝負するようなものであると思う。

確実に自分の近くを走っているのではあるが、現在地は確認できない。

そこで何が出来るのか。

それは

全力で走る事。それだけ。

もし10秒で走れるのに12秒のペースで抜いて走っていて、11秒のところでゴールテープがヒラッとゆれた(透明人間=死のゴール)場合、どれだけ後悔する事か。

10秒以上のペースで走っていたが、9秒でゴールテープが揺れた場合。

これは素直に自分の負けを認めるしか無い。

しかしそれは喪失感などではない感情がそこにはあるのではないか。

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