2007年12月22日土曜日

ロールモデルを、全体ではなく部分で追う。そしてその理由を考え続ける事。

昨日に引き続き、ウェブ時代をゆくを読み、自分のうまく入ってきた部分を自分なりの言葉で書いてみた。

この作業自体がすごく重要になってくる。

つまり、自分の感動という物を1つ1つ大切にして行こうということである。感動って本来的にはすごくフローの要素が強く、再現性が無いものである事が多いが、それを自分である種のストックとしていく事で、その感動がおおい状態を自分に造り出す事ができる。

本にしろ、話にしろ、なんでもそうだろう。まとめるということはあとでもできるが、流れていって見えなくなってしまってはもう、戻って来ない。今やその周りを大切に出来ない人には未来はつくれないということかもしれない。



今日はインターン先でした話。

情報の透明性がもたらす、不幸せについて入り色話した。幸せというのは、相対的なものであり、高いオプションを知ってしまえば、相対的に自分は不幸せな方に振れてしまう。インターネットの普及によって色々な世界を、今まで無い距離感で感じ、情報を仕入れる事が容易になった。ただ、それは、相対的に不幸せになっているかもしれない。

しかし逆に多くのオプションを知る事で、人は希望を持ち、モチベートされていく事もある。これがウェブを最大限活かすためのスタンスだと思うし、自分もそうであると思う。

ただ前述の議論の延長で考えると、新しいサービスや既存のビジネスというのは、本当に人を幸せにしているのかというのは、一瞬懐疑的に見る必要もありそうだ。一見便利になった携帯電話は、人の時間をより拘束する道具ともとらえられる。

もちろん物事は様々な視点から考えられるが、インターン先の社長曰く「やってみないと語れない部分がある」という。つまり、新しいサービスをみなのために広めようとしているが、仮にそれが広まった時にそれが、本当に人を幸せにするのかというのは、わからない。もちろんそれを信じて、それをイメージしているのだけれど、それは完全な客観視点では存在しない。

その議論は決して終わる事は無い。いくらオプションがあっても、決断は1つで、結果も1つである。しかし、新しいサービスのインフラを整えうる状況というのは全ての人に与えられる訳ではない。そういうチャンス、つまり社会への責務としてとらえて、やり抜く事が必要であるということを、おっしゃっていた。

やはり自分もそういう、新しい価値の提供者になりたいと思った。

今日は嬉しい日だ。

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