2007年9月15日土曜日

第一幕終了(諸作業はこれから)

昨日先輩の建築家と渋谷で座談会。

夏休みで10件のインタビューという目標を立て、無理だと思った事もあったけど、結果的に、目標達成の10件のインタビュー+一回の座談会ということを実施できました。

その後、先輩と別れ、第一幕の打ち上げという事で、恵比寿まで歩いて、でラーメンを喰らい、ホルモンをくらい、ビルの屋上で寝ながらみんなで歌いました 笑

明け方に、若干のマジメモードで今後の展望についてブレストした。

やはり根本は「議論してものをつくる」という場を設計して行きたいというのが僕の一番の目標だ。

今は三人がブログ上で意見を言い合うと言う形式を取っているが、実際に多くの人の参加を許容するものを作りたい。10月以降に徐々に実践して行くことを決めた。

2007年9月14日金曜日

自然に 自分のスタンスで

今日この夏はじめたプロジェクトの第一部が幕を閉じる。
(各種作業は残っているがイベントとしては最後)

ただ、これはスタートであって全く完了していない。

インタビューを通じてかなり多くのものを受け取った僕らは、これからそれを自分の中で消化することが必要である。ベンチャー企業社長、区議会議員、ファシリティーマネージャー、建築家、デザイナー、写真家。本当に多種多様な方にお話を聞いてきた事で、多くの視点を得たような気がする。

まだ確固たるものは無いが、そんなものは今有ったら嘘だと思うし、これからの楽しみも無くなるだろう。


先輩の学生時代のブログを見ていると、本当に時間をどうやりくりしているのかと思うことをいくつもやっていた。それに比べて自分はと言うと、外面はよく振る舞っているかもしれないし、みなから頑張ってると言われるかもしれないが、実際はまだまだ余裕が有る。それなのに忙しく振る舞う自分。本当に弱いな。それで、まだまだしたいことがあるとかいってる。

もうそういう生き方はやめよう。

自分の幸せも大きな声で語れない自分。もっと鍛えるべきだ。もっともっと。

今KINGの会期中だが、自分は実は去年KINGの選考に落ちている。
自分からみんなに話す事はあまりしてこなかった。
だってかっこわるいから。

それでいて、一年次の内定とか、社長に会いにいっただとか、建築が忙しいだとか。
今の自分のすべてを知っている人がもし僕以外にいたらホントにかっこ悪いと思うだろう。
だって俺がそう思うから。

もう上っ面で生きるのはやめよっと!

一年の時にお話を伺った社長に言われた言葉はその頃からずっと大切にしているんだけど、最近忘れていたかも。

「自然に 自分のスタンスで」

2007年9月12日水曜日

ばかなおれ

自分どんだけ強がってたんだっ今頃分かった。

一年の頃から就活イベントとか見ながら、なんでみんな3年夏にはじめるんだろうって、どうせ悩んでるのは今まで何も考えて来なかったからだろって、上からものを見る様になっていた。

一年の時にワークスで内定が出た時に少しその過信はくじかれたはずだった。

内定したとはいえ、周りの人の方が遥かに優秀だったし、自分は完全に本気でやりきれたかって言うと、答えはNOだったし。

それでも、また2年とかでベンチャーで働き始めて、そういうことを言うだけで、みなそれをすごいと言う。

だから天狗になっている部分もある。

昨日ヒルズのある企業のインターンが終わったのだが、そこで完全に今までの自身なんてちんけな過信だったって知った。

何も分からない自分、そんなはずじゃと思っても現実は一気に変わる事はない。

建築学科の友人とプロジェクトをはじめ、一月から働いてるベンチャーでは大きなプロジェクトをまかされ、さらに、違うプロジェクトも進みそうという、本当にイケイケの状態だったが、ここで一回落ち着きたい。


自分の小ささ。

視野の狭さ。

考えの浅はかさ。


ほんと馬鹿だ俺。

尊敬する先輩にも「社会はそんなに甘くない」って言われたけど、

そんなのは社会に出た人の凝り固まった考えだとさえ考えてしまっていた。


もっと冷静に自分の場所を見る。

もっと謙虚に話を聞く。

もっともっと


21歳になるこの日に、自分を戒める意味でも、鼓舞する意味でも、明るい未来をつくるためにも、ここでひとつ止まって良かったと思う。

昨日のインターンのみんな。先輩、同輩のみんな。本当にありがとう。

2007年7月22日日曜日

行動的フラクタル

自分の行動を分析すると、面白いフラクタルな状況が生まれていることに気がついた。

フラクタルとは、全体とその部分が相似形になっていることを言う。(詳しくはコチラ)

どうなっているかと言うと、

一年のうち、学期中は大学、長期休暇はビジネスをしたり、考えたりする事が主。

もう少しミクロになると一週間のうち6日は大学に行ってほぼ設計をして、1日はベンチャー企業で働く。

そして、基本的に毎日朝の1時間半をビジネスへの興味が共通点の友人とあってお互い勉強。

とまあ、8;2とか7;3の状況がミクロマクロどの状況でも建築:ビジネス

みたいになっている。

これは自分としてはとても興味深かった。

多分、ミクロでもマクロでもパラダイムを変える事で、全体へ影響して行くんだろうと感じる。

”空”(くう)

しばらく更新を怠っていました。

今日は夕方よりプライオリティーハイの予定を入れていたのですが、ドタキャンとなった。

そうすると、”空”(くう)の時間がぽっかりできた。

「おう。」

なんか最近は、予定がある以外全てを設計の課題に費やしてきたので、こんな”空”の時間を過ごす事がなかったが、自分を整理し、見つめ直すのに良い時間だ。


まぁ根本的な問いである「自分は何なのか」というものに向かいつつも、目の前のやることを整理。

夏休みも軽く一望してみたが、意外と余裕がある。といってもサマーインターンとか㊙プロジェクト、今やってるインターンを埋まって行くのだが。


さて。冒頭の”空”の時間について考えたい。


そもそも”空”って「むなしい」って書くから、マイナスイメージがあるかもしれないが、建築では「空間」というスーパーな言葉(あえて言及せず特別視だけしておく)に使われている様に、必ずしもマイナスではない。

周りに何も無く、することも決まっていない状態は、一見非効率に見えるが、その前後の物事や、普段考えれない事、見て見ぬ振りをしているものを見直す時間になる。

今の自分の時間のポートフォリオ的に、ベースに建築があって、その他の事でその時に必要と感じるものを、そのベースの上に乗せている。そうではなく、ベースの勉強も1つの有限なものと見なす事で今回のような時間的な”空”をつくりだすことも必要な気がしてきた。

クリエイティブな思考は往々にしてこういう時にできるようである。

のってきたので、次々エントリーを書こうかな

2007年6月22日金曜日

ひと波超えて。

少し前まで、全てが進まない状態でしたが、一昨日あたりからその波を超えていい方向へ向かっています。

その滞る時と、進む感覚があるときと言うのは何が違うのか。

それさえわかれば怖いものなしなのですが、なかなか難しいですね。


今の自分の環境、かかえているものって本当に後々の自分のためになるって言う感覚が、あって、1つ1つにモチベーションがしっかりあります。

この状態を意地して行けば、右上がりに色々な能力や考えが深まっていくことは間違えありません。

ただこの状態の満足せず、それを使ってやるくらいの気持ちが必要。

大学もそう。その大学にいること自体には本来意味が無い。

それをツールとして自分が伸びてやろうと思わないと。

2007年6月13日水曜日

動物化〜ボーダレス化

昨日アップした内容をしっかり書いてみた。


社会学者の方の本などはとても勉強になる。

たとえば、東浩紀氏のいう動物化している現代人を

まさに、渋谷のバイキングの場でかいま見れた。

ケーキバイキングというのは、そもそもそんな社会学的観点から

マーケティングして行く事は無いだろうが、もしそういうことが

できれば、あらたなサービスが滞ることなく、成功する事も

無い話ではないと思う。


先に紹介したバイキングでは、バイキングと言う形式の持つ、

食べての一見自由な選択権が与えられるという特徴は多いに興味深い。

建築家吉村靖孝氏が建築雑誌『10+1』でswatchについて述べていたが、

swatchは、大量の選択肢を与えられる事で消費者は、そこの中から選択

することに満足し、あたかも自分が欲しかったものが手に入るような感覚に

なる。といったことを書いていたが、このバイキングでもそうだ。

自分が好きかどうかではなく、その選択可能性に魅了されている。

また、筆者の隣に座った女子高生とおぼしき人たちは

「4種類も取っちゃった」といってはしゃいでいて、また

「新しいの出たよ!」と言ってさらに盛り上がる。

まさに上記の面があると確信した事は言わずもがなだろう。


逆に考えてみる。

現代社会でそういった、動物化した現代人に向けたサービスをするのであれば、

例えば今回の例がわかりやすいので、そのままひきだすと、

そういった、仮想的に内部化した、つまりそれが全てでそこから選択する

ことが幸せな事だ。と消費者が思えば、そこで消費する事は当たり前の事である。

その観点から、ましてや現代のそういった人々の集まる象徴ともなる

渋谷にそのバイキングをつくることも自然の事である様に思ってくる。


総論

やはりそういった社会学的観点、経済学的観点など様々存在する視点であるが、

現代はその視点さえもボーダレスに利用し得る時代なのだろう。

ボーダレス社会を国境や言語と言った局部で見るのではなく、

職域や、こういった視点さえもその傾向があるということを

考えながら生きるのとそうではないのでは、数年後に差ができるであろう。