2007年4月29日日曜日

想定外

また良い波が現れそうな今日この頃です。


ちょっと下向きな矢印をたどっていましたが、昨日や先週でちょっと充電。

自信があるが、何もしていない自分。

でもそんな自分を、評価して下さる方々。

うれしくもあり、むなしくもあるが、今はやはり自信としての作用が大きい。

評価以上の事を将来リアルにすれば良いことだ。



「○年後事業やる時に誘おうと思う」

って先輩に言われて、感動した。(表情には出さない様にしたけど。ちょっと心拍数上がった。笑)

その間、僕が何をやるかについては、「何でも好きな事やれば」と。

本当に信頼してくれている。


なんかそう思ってくれる人が一人でもいるのに、立ち止まってる暇はない。

正直10年20年とか先って想像できない。なぜなら、ここ1、2年の視野の広がりや、思考の広がりを実感して、それを常数的にかけて行くと、今の自分のキャパをすぐ(2、3年)超えてしまうからだ。

ただ、それってすばらしいことかと個人的に思う。

1年後の自分は今の自分が想像できない位置まで行く事を繰り返せば、間違えなく成長があるということだ。



あぁ、考えるだけでわくわくしてきた。

だって想像つかないから。笑

2007年4月27日金曜日

プロフェッショナルという逃げ

昨年お世話になった、講師の方が1つ下の学年を教えに大学に来ていた。

毎週授業後にスライドレクチャーと飲み会をして色々と普段聞けないような事を聞いていた。

僕に取っては建築というものの位置付けが変わっていると思ったが、むしろ自分としては共感し、幅を持った話に毎回ワクワクした。

そして、今年も、授業は受けてはいないが、そのレクチャーや飲み会に参加させてもらった。


ちょっと悲しい話になるが、その飲み会に行く途中に、同期の仲間に「お前そんな余裕あるの?」と言われた事だ。

あぁ。

僕ら建築学科の学生は常に設計製図と言う、終わりない課題に取り組んでいる。

もちろん現在もそれを抱えながら生活している訳だが、それを理由にというか、それさえやっていれば良いと考えている人、或いは、それしか時間的にできないと思っている人が多すぎると思う。今に始まった事ではないが・・・。

僕は、そういう理由と言うのは、そもそもかっこわるいし、視界が狭すぎると思っている。愚痴の様に、飲み会に来ていた先輩にそのことをどう思うか聞いてみると、その先輩も同じような事を考えていた。先輩は「プロフェッショナルという逃げ」という言葉を使っていたが、言語化が上手だと思った。

こういう一瞬矛盾に感じるような言葉で言いたい事を現す事は、とても重要なスキルだと思う。

それはさておき・・・

プロフェッショナル。はたして、専門だけやっていて、本当のプロフェッショナルになる事は出来るのだろうか。僕の答えは否だ。

なぜなら、僕の前提として、その専門性が「社会でどう作用し、どう影響をして、どう変化させたか。」それが重要だと思っている。そのため、プロフェッショナルというのは、大衆のためにあるものでなければ意味が無い。「専門家のための専門」というのがこの世には多々起こっているのではないだろうか。横断的な広い知識が有り、一曲しか見えていないプロフェッショナルとも話が出来る。そういった人材が必要だと考えている。

このあたりは、考え方が良く変わって行く自分としてはめずらしく、1年の頃から変わらず抱いていた疑問の1つだ。


ただ、そうやって僕の考えているプロフェッショナルを目指している人が多ければ多いほど、真の意味(僕が考える)でプロフェッショナルというものの価値は高くなって行くと思う。

2007年4月26日木曜日

かえる

「今変えられる事。それは今だけ。」

今でもいつも頭においてある言葉の1つだが、これは高校の時に何か湧き出てきたものだ。

そして、今改めて、その事が本質的で、的を得ていたんだなと思うと同時に、「初心忘るべからず」という思いで満ちている。

アメリカに20日間いったことで、日本で生活している自分を相対化する事ができ、他視点から自分を見つめ、そうすることで、「結局今」というなんとも淡白な言葉の重さと言うか、重要性が身にしみている。

共にアメリカに行った友人も、その感覚を共有していた。環境にとどまらずに、常に自分に刺激を与えて行きたい。

今の自分には「老後ゆっくりしたい」とかいう感覚はない。

もちろんあったかい海辺で寝たり、山の中で小鳥の歌声に耳を傾けたりする事も好きだ。

ただ「今」という時間の、未来の自分に取ってとても貴重いや唯一作用できるものを、どう使うかと考えると、やはり世界を広げる事、つまり知恵をつける事に、時間を注ぐだろう。

そう、初心にかえって、また今日もスタートしよう。

2007年4月25日水曜日

スペシャリスト

狭さ。

それがスペシャリストなのかも・・・。

と考えたりします。

自分の専門以外の事にはほとんど興味がない、つまり社会生活を本当におくって行けるのか?

って心配してしまう友人が多い。

自分が心配する事ではないかもしれないし、それは目指す方向性の違いなのかもしれない。

僕は視野は広く、やれること、やりたいことには、出来るだけ手を出してみることを重要視していた。これは自分の見えてる世界の狭さを知っているからだ。

そうやって、広がって行く世界を見ているととても、面白い。

別々だと思っていた、僕の世界地図上の島が実は地続きだった時ほどワクワクしてテンション上がる事は無い。

この感覚を共有したいと思ってみんなに色々発破をかけるが、やはり、専門に突っ走っている。

ただその姿はとてもかっこいいし、目が輝いている。

ある意味うらやましい面もある。

「考えるより前にまず目の前の事をやる」という価値のある時間は現在しかないというのが、行動に反映されている様に思う。みんなはそんなことを考えている訳ではないが、結果的にそうなっている。

そういう姿は、将来が有る程度見える。コイツはすごい、○○になるだろう。とか。

僕を見て誰も将来どうなるかなんて分からないだろう。ブレにブレ、朝令暮改を繰り返し、結局僕は何のかっていう問いに僕を含め誰も答えられない。

その感覚がとても好きなんですがね 笑

2007年4月22日日曜日

たたいて崩して治して

そう。そうやって骨は強くなってく。

それと同じ様に人間も育って行くのかも。


って納得すると同時に、こういういわいる「例」って、立ち止まってみると、本当に意味あるのかなって思ったりする。

たしかに、直感的にはわかる。ただ、それって関係性が無い事を持ち出し、今の状況などにあてはめる。それっていいのか。

と、くどくど考えてしまったりする。

2007年4月17日火曜日

思った わかった

博士課程に所属しながら、TAしながら、自分の建築事務所をやっている人がいた。

というか結構身近に。

そんな人いるんだから、学部に所属しながら、ビジネスだってできるし、なんでも学べるはず。


できないときめるのは結局自分だけだ。

2007年4月15日日曜日

不思議だ

今日は一日生産的じゃないはずだったのに、そこでも自分の興味の方向に詳しい人と色々話す機会があった。

不思議だ。

もちろんありがたいことであるのだが。


結果から言うと、やっぱりアメリカ行こうって決めた。

そして短いスパンで自分にプレッシャーかけるのを辞めようかなって。

色々悩む原因に、時間軸ってのがあった。

なにぶん大きなことを「自分」が成し遂げたいと考えてしまうため、早く早くやりたいと思ってしまっていた。もちろんスピードって大事だけど、それとまた違う気がする。

僕の場合は、まず道を探っている状態。例えば、東京から大阪まで新幹線で行く場合は、線路も有るし、そこを過去に通ったって言う例はいくらでもある。そんな状態だったら、突っ走れば良い。でもなんかよくわからないロールモデルとかそういったものを追う訳でもないので、最高速度で突っ走ったら、大きな岩戸かヌマとかをよけれない訳だし、実は目指すものは逆方向に有る事を気がつかないかもしれない。特に僕の様に人間的に全くの発展途上の人はそうだと思う。

話は戻るが、アメリカに行くことについて。

経験者の方から聞いたところ、やはりワクワクした。世界から「学びたい奴ら」が集まるアメリカの一流大学。そんなとこ、ワクワクしないわけない。


昨日親しくしていただいている先輩に1ヶ月ぶりくらいに会って、言われた事も、自分のなかでは結構残ってる。建築をやって行くか、ビジネスの世界に入るか。そんな正直よくわからない悩みで迷っていた自分に、「どっちもやれば」って。

そんな選択肢は幾度となく考えた。でも捉え方が今日分かった気がした。

やばい。

面白い。

これからすごい面白い事になる予感がする。そしてそれをイメージとして、自己を管理するツールとして持てればと思う。

やっぱ俺若いな。無駄に動き、無駄に考え、無駄に悩み、無駄に落ち込み、無駄に喜ぶ。

でもその無駄って実はすごい大事だなって。

やりたいけど、無駄かもしれないことに一生懸命になれる人。それでいいなって。むしろそれが目指すべきところかもしれない。

それにしても不思議な一日だった。まだまだ続くが

欲張り

なのかも。自分。

でもしょうがない。


もっともっと目の前をしっかり見たい。ただ、先をもっと見たい。

どうすればいいのかわからないけど。

もっともっと。more and more.

それだけってよくわからない。


アメリカ行ってから本当に変わった。

なんて言っていいか分からないけど、今はただ思った事を思った様に。思った間隔で書くだけ。


「環境で人は変わる」って言うけど、それってちょっと違う。って後輩に言われて考えた。


結局は全ての環境はきっかけにすぎない。

「環境の変化は人を変え得る」って事だと思う。


アメリカ行ってやっぱり世界は広いってことを身にしみて実感した。行ってない時はただ、広いんだろうな、色々有るんだろうって思ってたけど、今は違うと思う。広いとか色々有るとかって正直どうでも良い事なのかも。

「結局自分はどうありたいか」って事だと。

そう考えると去年考えた事ってかなりぶれない事かも。

「大きな影響を与えれる人」
「常に変化する人」
「変な学生」(期間限定)

これはやっぱり前提として物事考えてるなって冷静に自分を見て思う。

そして、『自分のスタイルで、自然に』っていう、言葉を自分のなかにもってから、考えがとても整理され、行動も整理されて行ったと思う。

こうやって、「言葉」によって、影響されてしまうものだと。人間って奴は。

これは良い点でも悪い点でもある。

ゆとり教育の弊害もこの点から発生したもの。ここでは議論を進めないでおきたい。。。


さて、アメリカがもたらした自分への影響を日々感じながら、目の前の事から逃れつつ、先の事を考えている自分がいるのは認める。

この状態は果たしてなんなのだろうって思う。

自分を信頼しているけど、不安は有るし、今が重要だって良く分かっているけど、先を考えてしまう。人間の弱いところなのか、いいところなのか。

そんな事もわからないまま、こう書き綴っているこの時間。

ああ。もっと素直に生きたい。


時間を気にせずバリバリやる日本と、余暇を大事にする欧米。

一般論として述べるが、自分がどういうスタイルを目指すのか、っていうのも含めてよくわからなくなってきてる。

アメリカの旅は、自分のなかでは、3〜5年間どうやって行くかを決定する旅だと位置づけていたが、結局選択肢が増えて戻ってきた。ただ、それが一番の収穫だったのかも。


さあ。始めようか、今日も。