2008年6月16日月曜日

ネットの未来は公民館的なもの

院試の願書を書くこと、TOEICの勉強をすることなどやるべきことがあるのに、ネットを見ている自分。まあそれはおいておいて・・・


今のネットは図書館のようなものだと考えています。(中略)次は公民館になるのだと思います。「情報を集める為にネットを使う」から「みんなが集まるのが楽しいからネットをやる」という変化です。


ITジャーナリストの湯川氏のコメントである。

なるほど。

ITというと、利便性を押したサービスがおおいし、僕ら自身もそういう役割であると認識している部分が有ると思う。そんな中、「みんなが集まるのがたのしいからネットをやる」という流れは、言われてみると確実に有るのではないか。

mixi,モバゲータウンを初めとしたサービスは、あきらかに「役に立つ」<「楽しい」であるし、以前このブログで紹介した、Facebookの使用目的のNo.1は"Just for Fun"だった。

これは人の欲求の高度化と言えると思う。情報つまり役に立つものは、とりあえずGoogleさんに聞けばなんとかなる。そしてその次は、インターネットと言うインフラをつかって、如何に豊かにしてやろうかということになる。一見不必要なものが生活を豊かにするのだ。その中でもソーシャルメディアの可能性は大きいのではという湯川氏。

ただ、ココで、この手のサービスを実行する人には、高度な倫理観が必要であると思う。はやるからやる。というのはビジネスでは結構当たり前に考えられてきている、思考の流れだが、はたしてそれが広まることによって社会は「よく」なるのか。という問いに対する答えを持つ必要が有ると思う。もちろんやっていくうちに変わるだろうし、進歩するだろうが、少なくともその時点での仮説を持つべきだと考えている。

社会に広まる=いいサービス

という定義はできるかもしれないが、

「社会に広まる=社会にとってよいもの」
という構図は必ずしも成り立つ訳ではないだろう。

表層的な現状把握だけでなく、根本的、本質的な思考を繰り返して先鋭化させていきたい。思考と実践の両輪をブーストさせるくらいまで、どちらも先鋭化させていきたい。

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