2007年10月3日水曜日

ベトナム

行ってきました。ベトナム

想像ってやっぱり想像を超えない。
百聞は一見にしかず。

身にしみて感じた。

急成長って言うのは必ずひずみが出るって言われているけど、本当にそうだった。ただここで歪みだと感じる事は今の日本を普通と考えた場合の話。その前提がおかしいと言われれば、確かにその通りだが、僕は現在はその前提でしか意見できないと言うのも1つの事実。


一番印象的で考えさせられたのは、メコン川が流れる田舎の方に行った時だった。

ツアーで行ったのだが、田舎でツアーのルートになっているところは、現地の人がもちろん商売するチャンスだから、色々売っていた。でも田舎の風景と、看板、商店の規模などはやはり違和感が多く、少し悲しさを感じた。もちろん外から人が入ってきて、逆に外の世界を知る事で、外との何らかのやり取りは始まるのだが、始まる前と後では、そのコミュニティー全体で考えてどちらが幸せだっただろうかって考えてしまう。

もうpoint of no returnであることは百も承知である。しかし、不確定で、どちらが正解か分からない(そもそも正解なんか無い)未来を考える時に、確実な過去のことを抜きには語れないと思うので、考える価値はあるだろう。

最近の人は(自分も含めて)、「それは何の役に立つの?」という考え方が多い気がする。即物的、すぐ結果が欲しいのか。でも、実際それがどう役に立つかって言うロジックをたてたところでそれは、不確定の塊である未来にゆだねられるんだ。

今回の旅では自分が前提としている事がことごとく揺らされた。

●変わらない事は考えない。
●そもそも影響を与えたいって本当?
●何かを変えたいときは、既存のルールにのって一番になって変えるべき

とか色々再思考させられることになった。


今日友人Yとも話したのだが、海外に行く事って、外を見るというよりも、いつもの自分を相対化して見に行くようなものだと実感する。普段の生活から強制的に離れて違う生活を送る事で、普段の自分と今の自分(外にいる自分)というのが、比較でき、より明確になってくる。

そして、春のアメリカ、今回のベトナム、どちらも、1つの物事を決断しようと行ったのだが、帰ってくると選択肢が増えて帰ってきている。そりゃあ違う環境に行くんだから自然な事なのだが、自分に取ってはこの感覚を大事にしたい。

選択肢が増えることは僕はいいことだと思っている。より相対化しやすくなるからだ。しかし同時にYが言う欠点としては「迷い」やすくなる、という事だ。これも認める。もちろん選択肢が多ければ多いだけ検討が必要である。しかし、その上で出した結果は、良いものになっているはずだ。と僕は信じている。

ちょっとまとまりに欠けるが、ここで一端閉じます。

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