2007年12月29日土曜日

今実家の札幌に帰っています。

今年はこのブログがかなり続かないということが反省のひとつでしたが、全体的にはとてもよい年でした。
毎年ですが、1年前の自分から今の自分が想像できないところまでこれていると思います。これをこんご50年続く、そんな人生にしたいと思います。

さて。最近は特にウェブ世界というものの可能性と、自分の興味の強さを実感しています。夢中でアメリカのアプリケーション(すでにどこのアプリケーションだろうと関係ないのですが。。。)をいじっている自分や、技術者の方が書く文章を、わからないなりにもググリながら読んだりしています。

来年はそちらの勉強もするかもしれません。

また同時にブログの意味ってすごく大きいと感じています。今までありえないつながり方、新しい仕事の仕方、生き方というものの可能性がだんだん見えてきました。

なので、来年はブログを定期的に続けることをひとつの目標にしようと思います。

ブログを続けるためにはどうすればいいかと考えたのですが、
1、目的を持つ
このぶろぐのように、ただ書いていては、続きませんよね 笑
とくにここから何かを得てやる!という肉食的なものではなくとも、めぐりめぐって自分や社会のためになる状態を創造したいと思います。

2、楽しむ
とはいっても、やっぱり楽しくないと続かない!
だから、自分が楽しんでかけるようなテーマ設定が大事だと思いました。

3、習慣化する
毎日の生活の中のトイレや睡眠、食事のように、当たり前のようなことにしたいと思っています。
やはり習慣の力は強いですので。

もっとあると思いますが、(というかMECE感がないですが)こんな感じかなと思います。

2007年12月22日土曜日

ロールモデルを、全体ではなく部分で追う。そしてその理由を考え続ける事。

昨日に引き続き、ウェブ時代をゆくを読み、自分のうまく入ってきた部分を自分なりの言葉で書いてみた。

この作業自体がすごく重要になってくる。

つまり、自分の感動という物を1つ1つ大切にして行こうということである。感動って本来的にはすごくフローの要素が強く、再現性が無いものである事が多いが、それを自分である種のストックとしていく事で、その感動がおおい状態を自分に造り出す事ができる。

本にしろ、話にしろ、なんでもそうだろう。まとめるということはあとでもできるが、流れていって見えなくなってしまってはもう、戻って来ない。今やその周りを大切に出来ない人には未来はつくれないということかもしれない。



今日はインターン先でした話。

情報の透明性がもたらす、不幸せについて入り色話した。幸せというのは、相対的なものであり、高いオプションを知ってしまえば、相対的に自分は不幸せな方に振れてしまう。インターネットの普及によって色々な世界を、今まで無い距離感で感じ、情報を仕入れる事が容易になった。ただ、それは、相対的に不幸せになっているかもしれない。

しかし逆に多くのオプションを知る事で、人は希望を持ち、モチベートされていく事もある。これがウェブを最大限活かすためのスタンスだと思うし、自分もそうであると思う。

ただ前述の議論の延長で考えると、新しいサービスや既存のビジネスというのは、本当に人を幸せにしているのかというのは、一瞬懐疑的に見る必要もありそうだ。一見便利になった携帯電話は、人の時間をより拘束する道具ともとらえられる。

もちろん物事は様々な視点から考えられるが、インターン先の社長曰く「やってみないと語れない部分がある」という。つまり、新しいサービスをみなのために広めようとしているが、仮にそれが広まった時にそれが、本当に人を幸せにするのかというのは、わからない。もちろんそれを信じて、それをイメージしているのだけれど、それは完全な客観視点では存在しない。

その議論は決して終わる事は無い。いくらオプションがあっても、決断は1つで、結果も1つである。しかし、新しいサービスのインフラを整えうる状況というのは全ての人に与えられる訳ではない。そういうチャンス、つまり社会への責務としてとらえて、やり抜く事が必要であるということを、おっしゃっていた。

やはり自分もそういう、新しい価値の提供者になりたいと思った。

今日は嬉しい日だ。

2007年12月20日木曜日

ウェブ時代をゆく・・・序章+α

読み始めました。

序章の一部より引用。
「渋滞にさしかかったところで高速度道路を降り、自らの複数の指向性を意識的に発見しながら「好き」の複合技で「けものみち」を歩んでいくのもいい」

これは3、4章の内容のようなので、はじめに読んでます。

読む前のこの辺りについての私の思いを少し。。。

やはり自分は、こういう方法でサバイブして行きたいと思っている。1つに専門決める事への抵抗感と、多くへの興味、そういう状態であえて1つに選んでしまったら、もったいない。良く成功者は1つに決めて、選択と集中で実行して行く。と言われるが、ウェブ進化論のころから言われている、「学習の高速道路化」現象に直面する時代において、高速道路をおりて、文字通り、けものみち(ブルーオーシャン)を目指していく事が、最前の選択としか思えない。

けものみちは、通っている間はとてもつらい。周りに人気はないし、何が出てくるかわからない。しかし、それを抜けたら、そこでサバイブしていれば、その人と同じような、経験、スキルセットを持ってる人がいないだろう。そのユニークネスはとても強い。

つまり、本気でサバイブするには、ある程度の高度へ知識を身につける事が容易になったため、自分のエッジが効くユニークな組み合わせで歩む必要があると思っている。

また同時に「チーム」というのが、今後のキーワードになると考えてる。先ほどの、ユニークな組み合わせの能力を持つ人が重宝されるであろう世の中になると考えていると述べたが、それは個人の枠のみで語る必要がなく、チームとしてまとまっているものの、それぞれのエッジがうまく絡み合った、HOT TEAM。

このチームの中では、「個」を捨てる必要がある。といっても好きなものを捨てるという意味ではない。それではエッジが立たない。ここで捨てるべきは、自意識。「自分が自分が」と出て行く気持ちも分かるが、それはチームとしてうまく行かない事がおおい。最高の状態は、自分の好きを貫く事がチームへのコントリビュートにつながっていること。自分が目立ちたいなどと言ったことを超えて、自分の好きに熱中することが必要であると考える。

2007年12月4日火曜日

表層深層

こうやってブログでもなんでもアウトプットは大切だ。

というか、一日1つくらいブログを書けるネタが無いなんて、それは何も意識せずに過ごしているということかもしれない。と、本を読みながら気付いたので、出来るだけ毎日この日記をつけようかと決心しかけています。

コミュニケーションについて

コミュニケーションって最大の試練は客観というものをいかにもつかということにつきると思う。主観が無い人なんかいない。しかし客観的に物事を見れる人はなかなかいないと思うし、それはコミュニケーションがうまい人とほぼイコールだと思う。
 コミュニケーションがうまい人は自分の状況がわかっているのだ。自分のできが悪いのか良いのか。ここで言うべきか言うべきじゃないか。

これはABSの五味さんの講義にもつながるのだが、いかに大衆の目線で物事を見れるか。自分を一端置いておけるか。ということである。もちろんパッションなども大事だが、失敗しては元も子もない。そういったいみで、大衆目線、客観視、俯瞰力は大切である。

その力を鍛えるのに、1つだれでもできることがある。それは、世の中のヒット商品が大衆に受け入れられている事実を認め、その深層を考える事である。

ものごとには、深層と表層がある。言い換えれば、スタンダードとファッション。
深層とは、人間の欲求など、どの時代も変わる事の無いもの。
表層とは、その時代性によるものである。

もう少し考察して行きたいが、今日はここまでです。

2007年11月6日火曜日

やっぱりチームが好き

最近つくづく思う。「俺は最高のチームを組みたい」と。

高校野球の影響か、「チーム」というものへの思いがとても強い。

「最高のチームを組んで、世界に新しい価値を提供する」

これが今一番成し遂げたいミッションだ。

そのためには、一流の仲間を見つけ、巻き込み、そいつらに自分が必要とされる存在になる必要がある。チームは国境とかもなく、グローバルに組む。世界のいろんな一流の奴らがあつまれば、何かが生まれないはずが無い。そう考えている。その状況を考えるとすごくワクワクする。本当に。

だから自分の近い未来の目標は「一番一緒に働きたいと思われる人になる」というもの。

そのためには、一番仕事ができるだけでなく、人間的な魅力も必要である。色々な経験をして、色々な広い知見があり、色々な思考をしている魅力的な人。そんな人になる必要があるし、心からそうなろうと思っています。

「20代でMBA留学」
安直かもしれないけど、やっぱり世界の一流の奴らが集まる場って言うとそう考えてしまう。そして志が同じ仲間がいる様に感じている。今同学年の仲間とチームを組んでいる。(と思っている)しっかり組織されたものではなく、それぞれを認めていて、それぞれが、それぞれから何かを吸収できると思っている仲間。そして将来は皆がともに上へ上っている事を確信している仲間たち。メールベースで何かあるごとに情報共有して、何かわからなければそこに投げれば何か返ってくる。そんな仲間もやはり自分の欲求に従ってできた1つの形なのだと思う。

さて、チームワークを磨く事も大事だが、自分も磨かなくてはいけない。今はなんと言っても英語を勉強しなければならない。さあもう少し頑張ろう。

2007年11月3日土曜日

自分の知らざるを知る

今日は色々あった。朝からさっきまで。

その中で1つ「自分が知らないという事を自覚する事」というものの大切さを改めて感じた。おごり高ぶらず、常に謙虚でいる事。自分の足りない事を客観視することを忘れずに、ひたすらたんたんと、為すべき事をする。

そう。ひたすらに。

2007年10月31日水曜日

チーム、仲間

昨日、インターン先の創業から関わっていた方が転職された。

最後の社長との握手と抱き合う二人を目の前にしてみて、本当に気持ちが伝わってきた。社長は、「ありがとう」と言ったように感じたが、本当に二人は良いパートナーだったのだろう。もちろんその方もステップアップされる訳であるから、喜ばしい事であるが、やはり複雑である。

その瞬間を目の前にして、本当に仲間の大切さをひしひしと感じた。

自分も高校野球をやっていてチームだとか、仲間というものに恵まれてきた。自分が一番印象に残っているのは、やはり最後に自分が引退する時だと思うだろうが、実はそうではなく先輩の引退の時であった。

これから自分たちのチームになるという感覚がどうしても掴めないこと、そして今までどれだけ先輩たちにおんぶにだっこだったかが、分かる瞬間であった。

そこには期待というよりも不安が大きく、本当に大丈夫であろうか。俺たちだけで。と思う。

しかしこの思いも本物のチームであればすぐに好転する。先輩たちが出来なかった目標を俺たちは達成してやる。最大のライバルは1つ上の先輩の代。これは高校の時に常に監督に言われてきた事。そういうことを言えるチームにまで0からチームを作った監督は本当にすごかった。

僕も、本当にすばらしいチームをつくりたい。

2007年10月29日月曜日

発散傾向にある。

表題の通り最近自分がやることが多くなってきた。

就職活動、インターン、スクール、サークル(代表)、そしてもちろん大学の勉強。

色々なカテゴリーのものを同時に取り組んでいく。これは自分がとてもすきな事だ。

こういう中で、自分の好きな事もしたいし、好きな本も読みたい。

毎日夜走ってるし、6時に起きて、7時から友人とあって色々議論している。

でもまだまだできるから、これから気合い入れます。

2007年10月23日火曜日

人間も科学

最近朝に友人と理系(科学)と文系の話をした。

科学って言うのは「自己批判」ができるものである。というのが結論だった。

つまりどんなに仮定して理論的に正しいという風に思われても、実験をして、違う結果がでたら、自分を疑う事と余条件があることを探求する。逆に経済などの学問というのは仮定というものがほぼ100%くつがえらないため、論理的なただしささえあればつつくことはできない。

という話をしていた。確かに科学というのは、そういう性質をもったリアリスティックなものである。

そんなことをブログに書こうと思ったのも「人間も科学だな」って思ったからだ。

というのは、人間は、自分がいいと思うものや、憧れるものがあるが、それを実際にやってみる(会ってみるなど)と、「やっぱり自分はこれがすきだったんじゃないんだ」って思う事もあると思う。こうやってある意味自分の仮定を自分で検証し続けるというのが人間の本質なのかなと感じた。本当に自分が興味あるか分かりたければその世界に飛び込んでみろ。というのは良く言われると思うが、つまり仮説ばっかたてて理論的に解けると思わずに、とりあえず検証してみれば?という話だと思った。

大学3年と言う選択が多い(この先はもっと多いだろうが・・・)時期であるからか、そういう時間軸で自分を考える事が多く、取捨選択したりするというのは、なぜなのだろうということと、朝の友人との会話がつながり、こんな事を考えていました。

2007年10月20日土曜日

ものづくり派

昨日バイト帰りに社員の方と馬肉を食べにいった。

馬は食べた事はあるが、あまり覚えていないというくらい。
とてもおいしかった。歯ごたえが独特だった。とくに中トロは◎!

それはいいとして、そこでは色々な話ができた。

特に一人の上の社員の方に、
「○○君は、ものづくり系だよね」
そうするともう一人の方が、
「でた!◎さんの決めつけ!笑」

という話で、僕について今まで見てきて思った事を色々と話してくれた。勤勉であるということをとてもいってくれた。それだから、表に出るというよりも、完成度の高いものをつくったりすることに興味があるじゃないかと言う。1のものを10に魅せるより、10のもの、もしくはそれ以上のものをつくる事がすきなんじゃない?と。人には、自分を見て欲しい人と、自分の作品を見て欲しい人がいる。それって全然方向性が違うんだよね。ということも言われ、僕は後者でしょ?と。

たしかに、僕は後者だと思う。高校野球の時は実力が無くベンチに入れなかったが、分析という立場でチームに貢献しようとしていた。その時は自分というものよりも自分が関わっているチームがすきでその目標を達成したかった。

その原体験がかなり自分に取っては大きく、僕自身は、新しい価値を世の中に輩出して行きたいという気持ちが強い。

そんな話や、教育の話で盛り上がり、良い時間をすごせた。

俺はものづくり派かも。

2007年10月13日土曜日

わかりやすいもの、わかりにくいもの

続けての投稿になるが、流れに載っていく。

さて、今の自分のベクトルについて整理するためにこのエントリーを書いてみる。

今は就職活動をしているのだが、企業を見る際に自分は今何で見ているか考えてみる。

①自分の持っているイメージ
②難易度
③事業内容
④給与(正確にではなくぼんやりとだが)
⑤入社して3、5年後の自分の状態

(※もちろん企業を環境としてとらえているので、そこで働いている人というのは最重要項目であるが、説明会に行く前の時点での評価項目である。)

①については、社会がその企業に抱いているイメージと、自分が入った時に周りはどう思うかという2点があると思う。②の難易度というのは、①の2点目に近いかもしれないが、同時に優秀な奴が集まるかどうかと言う指標にも近いと考えられる。③はそもそも自分はやりたいのかという、自分がモチベートされるかどうかによる。④は、その後の自分のキャリア(例えばMBAを含む留学など)を考える際に無視できないし、単純にモチベートされるものでもある。⑤は最も考えている点で、そもそも自分はどういう状態でいたいか。どうなりたいかというものを中期的に見て、その企業への就職というのは自分に取って、時間を投資し何を得るのか、社会に何を提供するのか(または何を提供できる様になっているか)というもの。全ては⑤に集約されるかもしれない。

ここでやっと表題に書いた「わかりやすいもの、わかりにくいもの」について

企業を選ぶ際に、やはり給与というのは見てしまう。そこで決めている訳ではないのだが、実はその他の理由というのは後付けなのではないかという自分への懐疑心が0ではない。つまるところ、給与というのはすごく分かりやすい指標である。それに比べて、自分が得られるものや自分がやりたいものというのは変化する中にあるので、わかりにくい。(明確になっている!と言っても・・・)

やはり現代社会の中では「わかりやすいもの、わかりにくいもの」のうち「わかりやすいもの」に評価基準がいっているのはすごく実感するし、自分もその可能性がある。もちろんわかりやすい=間違い、悪というわけでは決してない。コンサルとか外銀とかの内定した人でも、正直何故そこなのかというのは、自分として納得した説明をされた事が無い。ただこういうのは、他の選択しを全て排除する事は不可能である事は了解している。だからといってどこでもいいというのは、「なぜ若者は3年でやめるのか」という話になるのではないだろうか。

話がまとまらないがここで終わらせていただきます。。。

環境管理

設計をとらずほぼ全ての時間を自分で何をするか、意識的に決めなければ行けない日々になった。

正直今週は、無駄に過ごした時間も有る。しかし、いくつか前の記事で

【宣言1】朝会(朝7時に自由ヶ丘)に遅刻しない。

と書いたが、これだけは日々守っている。6時40分に起きて、「今日は許して・・・」と思ったが、決めたし、友人にも言ってしまった手前起きた。最近目を通した「レバレッジ勉強法」にあったが、自分の行動を決めてしまって習慣化する事が大切であると書いてあった。僕はこういった、「決める」ということが嫌いであった。なぜなら自分で決めたはずなのに決められたさらには、やらされている感覚になるからだ。しかし、最近はそれは、「目的意識」の再認識で解決できるという事がわかった。決められた感覚になるのは、結局何のためにやっているのか分からなくなっているからだ。だから、明確に目的が有れば、つねに自分の選択の上で決めた事だということを認識して、行動できる。今回の朝の宣言にしてもそうだ。朝の時間を有効に使うこと、継続することのパワーを感じる事。の2点がこんかいの目的だったが、2点目は特に感じている。これから、目的と連動した行動をしっかり習慣化していけば、様々なところで色々な変化がおこってくるかもしれない。

2007年10月9日火曜日

パリ帰りの友人とチーズとワイン

今パリ帰りの大学の友人がうちに来ていった。
パリのお土産のチーズとワインで二人で近況を話しつつ一杯やった。

僕が設計を取らない事について、色々話したが、ポジティブな理由で安心したと言っていた。心配はしていなかったようだがちょっと話したかったようだ。僕もこの友人には決断する前に一度話したいと思っていたが、結局決断後になってしまった。

彼とは1年からの付き合いで色々飲みにいったり、遊んだりした。話す事も多かった。そしてもちろん今も。僕の周りで彼が一番建築が好きなオーラがでている。コイツには勝てないと思ってしまった。好きこそものの上手慣れではないが、のめり込み方がすごい。コイツが建築やるなら大丈夫だな。とさえ思う事もある。(他にも尊敬できる奴らももちろんいる)

大学の環境によって制限されてしまう学生と僕を比較して、良い選択だと思うと言ってくれた。今の学生、特に僕らの周りの学生は、レールに載っている感じが否めない。本当はまだ20か21歳でなんでもできるはずなのに、みんな同じ事をやっている現状。同じ事に興味を持っていてみんな活き活きしているのであればいいのだが、本当にそうなのかは、多少疑問が残る。そんな話をしながら、自分のこれからの相談をしつつ、一杯やる時間はとても有意義だった。

設計課題を取らないという決断の怖さなど素直に話してもしっかり受け取って返してくれる。こんな友人に感謝である。本当に心から。

さて、やるしか無い状況にいる俺。やるしかない。そう。やるしかない。頑張ろうや!

この友人とは一生つきあっていきたい。

2007年10月8日月曜日

先輩の背中

昨日はサークルの企画をお台場でうった。

参加予定人数18、参加人数11。
トホホであり、開始時はどうなる事かと思った。

しかし、企画の完成度は高く満足率が高かった。

コレはひとえに、先輩のおかげである。

しおり作りから、下見を一緒にしてくれ、一番時間を使ってくれた。自分はそれをほんのちょっとサポートしただけで、ほとんど何もしていない。そして人も集められない俺。本当に代表なのだろうか。。。

しかしその先輩はみんなの前では、僕をたててくれる。事実を知っている自分はとても辛い。もちろん有り難い気持ちは素直に有るけど。これも、先輩からのメッセージだと思い心にきざんだ。先輩の姿は「俺がいなくても、このサークルを引っ張って行ける人になれ」って言うメッセージが見えた。

結局何もできない僕だけど、先輩方はすごく評価してくれる。このプレッシャーをはねのける様な行動をしなきゃダメだ。俺は、また違う先輩に「俺が事業をする時に誘おうと思ってる」って言われた時に、それに素直に喜び、それが当然であるといえるように自分を鍛えようと思った。そして、さらに、本当に自分がその人を誘おうと言うところを目標にした。つまり、自分が何かをやる時に、口説こうと思った。しかしこれって思っただけで、現実の今のモチベーションまで落ちてきていないんだって昨日実感した。

あまい。本当にあまい。

それを克服するには、やるしかない。

2007年10月6日土曜日

さてこれから新しい軸で

昨日書いた様に、自分の行動の軸の取捨選択をした。

今日から新たな軸によって動いていきたいと思う。

今までは設計製図というものを中心にしていたため、どこからどこまでが寝る時間と言うくくりはなかったが、これからはセルフマネジメントをしっかりしていきたいと思う。

今まで朝7時に自由ヶ丘集合で友人と会っているのだが、僕の欠席や30分以上の遅刻率が高すぎる。これをまず解消したい。早起きを続ける事で、自然と早寝になってバランスがとれるようになるだろう。朝起きる事は苦手ではないし、爽快で、好きだ。

こういうことなど、しっかり続ける事を大事にしたい。
「継続は力なり。」

【宣言1】朝会(朝7時に自由ヶ丘)に遅刻しない。


宣言をしたところで、今日の行程をちょっと。

これから渋谷に行ってそこから青山まで歩く。そこで友人と会い、今回僕が取らない設計課題の敷地を一緒に見る。この目的は、もっぱら議論する事である。この学科にいて一番有意義に感じる事は、議論をする環境が有るという事である。そのため、設計製図で手を動かさなくとも、思考して論理を組み立てたり、想像したりする作業はやめようとは思っていない。それが建築学科にいる意義であるから。その後銀座で違う友人先輩と会い、色々準備。夜は友人と会うか、もし予定が合わなければ、レポートを書き始め、それが終わり次第エントリーシートを順次書いていく。これ(ES)が終わる事は無い 笑

また、先輩に借りている「芸術起業論」を読了して返却&感想を言う予定。

流れがいいので、今読もうとしている本を紹介します。

1、獄中記
2、最高のリダーマネジャーがいつも考えているたったひとつのこと
3、巨大投資銀行
4、ポスト資本主義社会
5、エンジニアよ挑戦せよ
6、サイバージャーナリズム論

以上。

5、6はほぼ読了。1はずっと読みたくて、最近ようやく買った一冊。佐藤優氏が獄中でつづった文章を再編集したもの。僕が言うと稚拙で申し訳ないが、著者の思考の深さが伺え、自分の勉強不足を感じる。知識単体ではなくとそのつながりがわかってくる。2はインターン中のベンチャーの社員の方に勧められた本。学生のうちはビジネス書とか読まない方がいい。とその方は言うが、この本だけは勧めてくれた。ぜひ読みたい。3は、投資銀行の実情について書かれた黒木亮氏の名著。長いがじっくり読みたい一冊。4はPEドラッガーの名著の一冊。ある先輩と資本主義の次って有るのか?という話をしていた直後にブックオフで出会い運命を感じて買った一冊。ドラッガーの本はまだ読了した事が無いのでまずこれから。

さて、行ってきます。

2007年10月5日金曜日

決断

今日1つの決断をした。

それは設計製図をとらないというもの。

理由は、将来的に設計者として生きていく事を考えていない事と、その上で、3年後期の時間を、就職活動とベンチャーのインターン、そして友人とのプロジェクトっていうのを、ファーストプライオリティーから外せなかったことだ。そこに設計製図を入れると、キャパオーバーして全てが沈没しかねないと感じた。

こうやって、今いる環境でメインの事を切るのは人生ではじめて。決断しなきゃ行けない段階に来るまで決断できなかったし、決断した瞬間、怖さがあった。ある意味、それをやっていれば、間違えはないだろうと思われるものだけに、それを切るという決断は、僕に取って大きかった。

ただ逆に、大きくなる瞬間てこういう瞬間のなのかもしれないとも感じた。Googleの方と話をする事が有って、その時に、「自分の環境としてもっとも適したものではないものに時間を注ぐのは、非合理的と感じるが、今の自分はまさにそういう状態です。それをどう思いますか」という主旨の質問をすると「それは、今の自分の環境に満足していないんじゃない?」っていう回答が返ってきた。ちょっと、止まってしまった。たしかに、環境のせいにして自分の行動の選択肢を狭めていたかもしれないと感じた事が有った。

こうして、決断したが、これがどう転ぶかは未来の自分に聞いて欲しい。きっと、良い決断をいい時期にした。と答えていると思う。そしてそうするためにも、悔いの無い時間のつかい方をして、考え抜き、行動して行きたい。

2007年10月3日水曜日

ベトナム

行ってきました。ベトナム

想像ってやっぱり想像を超えない。
百聞は一見にしかず。

身にしみて感じた。

急成長って言うのは必ずひずみが出るって言われているけど、本当にそうだった。ただここで歪みだと感じる事は今の日本を普通と考えた場合の話。その前提がおかしいと言われれば、確かにその通りだが、僕は現在はその前提でしか意見できないと言うのも1つの事実。


一番印象的で考えさせられたのは、メコン川が流れる田舎の方に行った時だった。

ツアーで行ったのだが、田舎でツアーのルートになっているところは、現地の人がもちろん商売するチャンスだから、色々売っていた。でも田舎の風景と、看板、商店の規模などはやはり違和感が多く、少し悲しさを感じた。もちろん外から人が入ってきて、逆に外の世界を知る事で、外との何らかのやり取りは始まるのだが、始まる前と後では、そのコミュニティー全体で考えてどちらが幸せだっただろうかって考えてしまう。

もうpoint of no returnであることは百も承知である。しかし、不確定で、どちらが正解か分からない(そもそも正解なんか無い)未来を考える時に、確実な過去のことを抜きには語れないと思うので、考える価値はあるだろう。

最近の人は(自分も含めて)、「それは何の役に立つの?」という考え方が多い気がする。即物的、すぐ結果が欲しいのか。でも、実際それがどう役に立つかって言うロジックをたてたところでそれは、不確定の塊である未来にゆだねられるんだ。

今回の旅では自分が前提としている事がことごとく揺らされた。

●変わらない事は考えない。
●そもそも影響を与えたいって本当?
●何かを変えたいときは、既存のルールにのって一番になって変えるべき

とか色々再思考させられることになった。


今日友人Yとも話したのだが、海外に行く事って、外を見るというよりも、いつもの自分を相対化して見に行くようなものだと実感する。普段の生活から強制的に離れて違う生活を送る事で、普段の自分と今の自分(外にいる自分)というのが、比較でき、より明確になってくる。

そして、春のアメリカ、今回のベトナム、どちらも、1つの物事を決断しようと行ったのだが、帰ってくると選択肢が増えて帰ってきている。そりゃあ違う環境に行くんだから自然な事なのだが、自分に取ってはこの感覚を大事にしたい。

選択肢が増えることは僕はいいことだと思っている。より相対化しやすくなるからだ。しかし同時にYが言う欠点としては「迷い」やすくなる、という事だ。これも認める。もちろん選択肢が多ければ多いだけ検討が必要である。しかし、その上で出した結果は、良いものになっているはずだ。と僕は信じている。

ちょっとまとまりに欠けるが、ここで一端閉じます。

2007年9月15日土曜日

第一幕終了(諸作業はこれから)

昨日先輩の建築家と渋谷で座談会。

夏休みで10件のインタビューという目標を立て、無理だと思った事もあったけど、結果的に、目標達成の10件のインタビュー+一回の座談会ということを実施できました。

その後、先輩と別れ、第一幕の打ち上げという事で、恵比寿まで歩いて、でラーメンを喰らい、ホルモンをくらい、ビルの屋上で寝ながらみんなで歌いました 笑

明け方に、若干のマジメモードで今後の展望についてブレストした。

やはり根本は「議論してものをつくる」という場を設計して行きたいというのが僕の一番の目標だ。

今は三人がブログ上で意見を言い合うと言う形式を取っているが、実際に多くの人の参加を許容するものを作りたい。10月以降に徐々に実践して行くことを決めた。

2007年9月14日金曜日

自然に 自分のスタンスで

今日この夏はじめたプロジェクトの第一部が幕を閉じる。
(各種作業は残っているがイベントとしては最後)

ただ、これはスタートであって全く完了していない。

インタビューを通じてかなり多くのものを受け取った僕らは、これからそれを自分の中で消化することが必要である。ベンチャー企業社長、区議会議員、ファシリティーマネージャー、建築家、デザイナー、写真家。本当に多種多様な方にお話を聞いてきた事で、多くの視点を得たような気がする。

まだ確固たるものは無いが、そんなものは今有ったら嘘だと思うし、これからの楽しみも無くなるだろう。


先輩の学生時代のブログを見ていると、本当に時間をどうやりくりしているのかと思うことをいくつもやっていた。それに比べて自分はと言うと、外面はよく振る舞っているかもしれないし、みなから頑張ってると言われるかもしれないが、実際はまだまだ余裕が有る。それなのに忙しく振る舞う自分。本当に弱いな。それで、まだまだしたいことがあるとかいってる。

もうそういう生き方はやめよう。

自分の幸せも大きな声で語れない自分。もっと鍛えるべきだ。もっともっと。

今KINGの会期中だが、自分は実は去年KINGの選考に落ちている。
自分からみんなに話す事はあまりしてこなかった。
だってかっこわるいから。

それでいて、一年次の内定とか、社長に会いにいっただとか、建築が忙しいだとか。
今の自分のすべてを知っている人がもし僕以外にいたらホントにかっこ悪いと思うだろう。
だって俺がそう思うから。

もう上っ面で生きるのはやめよっと!

一年の時にお話を伺った社長に言われた言葉はその頃からずっと大切にしているんだけど、最近忘れていたかも。

「自然に 自分のスタンスで」

2007年9月12日水曜日

ばかなおれ

自分どんだけ強がってたんだっ今頃分かった。

一年の頃から就活イベントとか見ながら、なんでみんな3年夏にはじめるんだろうって、どうせ悩んでるのは今まで何も考えて来なかったからだろって、上からものを見る様になっていた。

一年の時にワークスで内定が出た時に少しその過信はくじかれたはずだった。

内定したとはいえ、周りの人の方が遥かに優秀だったし、自分は完全に本気でやりきれたかって言うと、答えはNOだったし。

それでも、また2年とかでベンチャーで働き始めて、そういうことを言うだけで、みなそれをすごいと言う。

だから天狗になっている部分もある。

昨日ヒルズのある企業のインターンが終わったのだが、そこで完全に今までの自身なんてちんけな過信だったって知った。

何も分からない自分、そんなはずじゃと思っても現実は一気に変わる事はない。

建築学科の友人とプロジェクトをはじめ、一月から働いてるベンチャーでは大きなプロジェクトをまかされ、さらに、違うプロジェクトも進みそうという、本当にイケイケの状態だったが、ここで一回落ち着きたい。


自分の小ささ。

視野の狭さ。

考えの浅はかさ。


ほんと馬鹿だ俺。

尊敬する先輩にも「社会はそんなに甘くない」って言われたけど、

そんなのは社会に出た人の凝り固まった考えだとさえ考えてしまっていた。


もっと冷静に自分の場所を見る。

もっと謙虚に話を聞く。

もっともっと


21歳になるこの日に、自分を戒める意味でも、鼓舞する意味でも、明るい未来をつくるためにも、ここでひとつ止まって良かったと思う。

昨日のインターンのみんな。先輩、同輩のみんな。本当にありがとう。

2007年7月22日日曜日

行動的フラクタル

自分の行動を分析すると、面白いフラクタルな状況が生まれていることに気がついた。

フラクタルとは、全体とその部分が相似形になっていることを言う。(詳しくはコチラ

どうなっているかと言うと、

一年のうち、学期中は大学、長期休暇はビジネスをしたり、考えたりする事が主。

もう少しミクロになると一週間のうち6日は大学に行ってほぼ設計をして、1日はベンチャー企業で働く。

そして、基本的に毎日朝の1時間半をビジネスへの興味が共通点の友人とあってお互い勉強。

とまあ、8;2とか7;3の状況がミクロマクロどの状況でも建築:ビジネス

みたいになっている。

これは自分としてはとても興味深かった。

多分、ミクロでもマクロでもパラダイムを変える事で、全体へ影響して行くんだろうと感じる。

”空”(くう)

しばらく更新を怠っていました。

今日は夕方よりプライオリティーハイの予定を入れていたのですが、ドタキャンとなった。

そうすると、”空”(くう)の時間がぽっかりできた。

「おう。」

なんか最近は、予定がある以外全てを設計の課題に費やしてきたので、こんな”空”の時間を過ごす事がなかったが、自分を整理し、見つめ直すのに良い時間だ。


まぁ根本的な問いである「自分は何なのか」というものに向かいつつも、目の前のやることを整理。

夏休みも軽く一望してみたが、意外と余裕がある。といってもサマーインターンとか㊙プロジェクト、今やってるインターンを埋まって行くのだが。


さて。冒頭の”空”の時間について考えたい。


そもそも”空”って「むなしい」って書くから、マイナスイメージがあるかもしれないが、建築では「空間」というスーパーな言葉(あえて言及せず特別視だけしておく)に使われている様に、必ずしもマイナスではない。

周りに何も無く、することも決まっていない状態は、一見非効率に見えるが、その前後の物事や、普段考えれない事、見て見ぬ振りをしているものを見直す時間になる。

今の自分の時間のポートフォリオ的に、ベースに建築があって、その他の事でその時に必要と感じるものを、そのベースの上に乗せている。そうではなく、ベースの勉強も1つの有限なものと見なす事で今回のような時間的な”空”をつくりだすことも必要な気がしてきた。

クリエイティブな思考は往々にしてこういう時にできるようである。

のってきたので、次々エントリーを書こうかな

2007年6月22日金曜日

ひと波超えて。

少し前まで、全てが進まない状態でしたが、一昨日あたりからその波を超えていい方向へ向かっています。

その滞る時と、進む感覚があるときと言うのは何が違うのか。

それさえわかれば怖いものなしなのですが、なかなか難しいですね。


今の自分の環境、かかえているものって本当に後々の自分のためになるって言う感覚が、あって、1つ1つにモチベーションがしっかりあります。

この状態を意地して行けば、右上がりに色々な能力や考えが深まっていくことは間違えありません。

ただこの状態の満足せず、それを使ってやるくらいの気持ちが必要。

大学もそう。その大学にいること自体には本来意味が無い。

それをツールとして自分が伸びてやろうと思わないと。

2007年6月13日水曜日

動物化〜ボーダレス化

昨日アップした内容をしっかり書いてみた。


社会学者の方の本などはとても勉強になる。

たとえば、東浩紀氏のいう動物化している現代人を

まさに、渋谷のバイキングの場でかいま見れた。

ケーキバイキングというのは、そもそもそんな社会学的観点から

マーケティングして行く事は無いだろうが、もしそういうことが

できれば、あらたなサービスが滞ることなく、成功する事も

無い話ではないと思う。


先に紹介したバイキングでは、バイキングと言う形式の持つ、

食べての一見自由な選択権が与えられるという特徴は多いに興味深い。

建築家吉村靖孝氏が建築雑誌『10+1』でswatchについて述べていたが、

swatchは、大量の選択肢を与えられる事で消費者は、そこの中から選択

することに満足し、あたかも自分が欲しかったものが手に入るような感覚に

なる。といったことを書いていたが、このバイキングでもそうだ。

自分が好きかどうかではなく、その選択可能性に魅了されている。

また、筆者の隣に座った女子高生とおぼしき人たちは

「4種類も取っちゃった」といってはしゃいでいて、また

「新しいの出たよ!」と言ってさらに盛り上がる。

まさに上記の面があると確信した事は言わずもがなだろう。


逆に考えてみる。

現代社会でそういった、動物化した現代人に向けたサービスをするのであれば、

例えば今回の例がわかりやすいので、そのままひきだすと、

そういった、仮想的に内部化した、つまりそれが全てでそこから選択する

ことが幸せな事だ。と消費者が思えば、そこで消費する事は当たり前の事である。

その観点から、ましてや現代のそういった人々の集まる象徴ともなる

渋谷にそのバイキングをつくることも自然の事である様に思ってくる。


総論

やはりそういった社会学的観点、経済学的観点など様々存在する視点であるが、

現代はその視点さえもボーダレスに利用し得る時代なのだろう。

ボーダレス社会を国境や言語と言った局部で見るのではなく、

職域や、こういった視点さえもその傾向があるということを

考えながら生きるのとそうではないのでは、数年後に差ができるであろう。

2007年6月12日火曜日

本当の動物化社会

一昨日友人と、渋谷の某ケーキバイキングの店に行った。

ともに社会学などに興味があるので、東浩樹氏のいう動物化するポストモダン的空間に行こうとなった。

そこは、そういう要素にあふれていた。

選択肢が多数用意され、自分の好きなケーキやパスタがあるかどうかというよりは、その選択できる事に満足する、女子高生初め、若い女性たち。

その象徴として、隣の席の女の子の台詞
「みてみて〜。パスタ4種類も取っちゃった」
「みて〜、新しいパスタ出たよ〜」

選択肢に満たされ、更新される事への感情で、とくに、自分の好みなどは関係ないらしい。

興味深いのと同時に、かなしくもなる。

友人と「渋谷にバイキングを創るとこうなるのか」と

ただ、逆にそれをねらって金儲けをしようとしていたのであれば、相当頭のキレるマーケターがいたのだろうが、そんなことは無いだろう。


そして、食するところと供するところ、そして排泄するところの距離感がとても近く、さらに、トイレのドアには「本日の香りはラベンダー」とその排泄する場所でさえ、何かを得る場であるかの様とりつくろう。まさにその境界は見えない。

まさにスーパーフラット。

あ。大学に行かねば。

ちょっと中途半端だったが、今はココまで。。

2007年5月26日土曜日

私は大まかに言って2種類の人たちと接していると言っていいと思う。

一方の人たちには、将来をとても期待され、他方ではいわゆる普通のポジションだ。

で、今軸を置いているのは後者。

将来的に携わる予定は前者。

うん。ここに矛盾を感じて立ち止まった事もあったが、この選択は正しいと感じている。

周りの人の意見は、その人たちの経験則からできている。だから、将来すごくなると言う印象もその過去の経験則からのもの。

そして一見関係ないと思われる後者の事にとりくむことで、新しい事が生まれるはずだ。

自分の目指す状態をうまく説明できないのは、決して悪い事ではないのではないかと思ったりもする。

説明できるような状態は、往々にして既存のものだろう。

説明できないもやもやしたものを、自分の力で表現するのだ。



そういう偉そうなことを言ってみる20歳。

2007年5月7日月曜日

死について

死ぬとは何か。それについて、深く考えた事は無かった。

しかし昨日は考えた。

特に身近な人がなくなった訳ではないのだが。。。


こと、自分の死という物を考えるものではないと言うのが僕の意見である。

なぜなら、「コントロール不能」であるから。

いつ死ぬかなんて誰も分からない。

考えるとは未来をより良くするためのものである。

不可避ではあるが、コントロールの範疇を超えているものを思考の中に入れても全く無意味だと感じている。

できることは「今」を大切に生きる事だけ。

志半ばで死が訪れても、そこまで本気で走ってきたのであればしかたないこと。

例えば、百メートルを透明人間と勝負するようなものであると思う。

確実に自分の近くを走っているのではあるが、現在地は確認できない。

そこで何が出来るのか。

それは

全力で走る事。それだけ。

もし10秒で走れるのに12秒のペースで抜いて走っていて、11秒のところでゴールテープがヒラッとゆれた(透明人間=死のゴール)場合、どれだけ後悔する事か。

10秒以上のペースで走っていたが、9秒でゴールテープが揺れた場合。

これは素直に自分の負けを認めるしか無い。

しかしそれは喪失感などではない感情がそこにはあるのではないか。

2007年4月29日日曜日

想定外

また良い波が現れそうな今日この頃です。


ちょっと下向きな矢印をたどっていましたが、昨日や先週でちょっと充電。

自信があるが、何もしていない自分。

でもそんな自分を、評価して下さる方々。

うれしくもあり、むなしくもあるが、今はやはり自信としての作用が大きい。

評価以上の事を将来リアルにすれば良いことだ。



「○年後事業やる時に誘おうと思う」

って先輩に言われて、感動した。(表情には出さない様にしたけど。ちょっと心拍数上がった。笑)

その間、僕が何をやるかについては、「何でも好きな事やれば」と。

本当に信頼してくれている。


なんかそう思ってくれる人が一人でもいるのに、立ち止まってる暇はない。

正直10年20年とか先って想像できない。なぜなら、ここ1、2年の視野の広がりや、思考の広がりを実感して、それを常数的にかけて行くと、今の自分のキャパをすぐ(2、3年)超えてしまうからだ。

ただ、それってすばらしいことかと個人的に思う。

1年後の自分は今の自分が想像できない位置まで行く事を繰り返せば、間違えなく成長があるということだ。



あぁ、考えるだけでわくわくしてきた。

だって想像つかないから。笑

2007年4月27日金曜日

プロフェッショナルという逃げ

昨年お世話になった、講師の方が1つ下の学年を教えに大学に来ていた。

毎週授業後にスライドレクチャーと飲み会をして色々と普段聞けないような事を聞いていた。

僕に取っては建築というものの位置付けが変わっていると思ったが、むしろ自分としては共感し、幅を持った話に毎回ワクワクした。

そして、今年も、授業は受けてはいないが、そのレクチャーや飲み会に参加させてもらった。


ちょっと悲しい話になるが、その飲み会に行く途中に、同期の仲間に「お前そんな余裕あるの?」と言われた事だ。

あぁ。

僕ら建築学科の学生は常に設計製図と言う、終わりない課題に取り組んでいる。

もちろん現在もそれを抱えながら生活している訳だが、それを理由にというか、それさえやっていれば良いと考えている人、或いは、それしか時間的にできないと思っている人が多すぎると思う。今に始まった事ではないが・・・。

僕は、そういう理由と言うのは、そもそもかっこわるいし、視界が狭すぎると思っている。愚痴の様に、飲み会に来ていた先輩にそのことをどう思うか聞いてみると、その先輩も同じような事を考えていた。先輩は「プロフェッショナルという逃げ」という言葉を使っていたが、言語化が上手だと思った。

こういう一瞬矛盾に感じるような言葉で言いたい事を現す事は、とても重要なスキルだと思う。

それはさておき・・・

プロフェッショナル。はたして、専門だけやっていて、本当のプロフェッショナルになる事は出来るのだろうか。僕の答えは否だ。

なぜなら、僕の前提として、その専門性が「社会でどう作用し、どう影響をして、どう変化させたか。」それが重要だと思っている。そのため、プロフェッショナルというのは、大衆のためにあるものでなければ意味が無い。「専門家のための専門」というのがこの世には多々起こっているのではないだろうか。横断的な広い知識が有り、一曲しか見えていないプロフェッショナルとも話が出来る。そういった人材が必要だと考えている。

このあたりは、考え方が良く変わって行く自分としてはめずらしく、1年の頃から変わらず抱いていた疑問の1つだ。


ただ、そうやって僕の考えているプロフェッショナルを目指している人が多ければ多いほど、真の意味(僕が考える)でプロフェッショナルというものの価値は高くなって行くと思う。

2007年4月26日木曜日

かえる

「今変えられる事。それは今だけ。」

今でもいつも頭においてある言葉の1つだが、これは高校の時に何か湧き出てきたものだ。

そして、今改めて、その事が本質的で、的を得ていたんだなと思うと同時に、「初心忘るべからず」という思いで満ちている。

アメリカに20日間いったことで、日本で生活している自分を相対化する事ができ、他視点から自分を見つめ、そうすることで、「結局今」というなんとも淡白な言葉の重さと言うか、重要性が身にしみている。

共にアメリカに行った友人も、その感覚を共有していた。環境にとどまらずに、常に自分に刺激を与えて行きたい。

今の自分には「老後ゆっくりしたい」とかいう感覚はない。

もちろんあったかい海辺で寝たり、山の中で小鳥の歌声に耳を傾けたりする事も好きだ。

ただ「今」という時間の、未来の自分に取ってとても貴重いや唯一作用できるものを、どう使うかと考えると、やはり世界を広げる事、つまり知恵をつける事に、時間を注ぐだろう。

そう、初心にかえって、また今日もスタートしよう。

2007年4月25日水曜日

スペシャリスト

狭さ。

それがスペシャリストなのかも・・・。

と考えたりします。

自分の専門以外の事にはほとんど興味がない、つまり社会生活を本当におくって行けるのか?

って心配してしまう友人が多い。

自分が心配する事ではないかもしれないし、それは目指す方向性の違いなのかもしれない。

僕は視野は広く、やれること、やりたいことには、出来るだけ手を出してみることを重要視していた。これは自分の見えてる世界の狭さを知っているからだ。

そうやって、広がって行く世界を見ているととても、面白い。

別々だと思っていた、僕の世界地図上の島が実は地続きだった時ほどワクワクしてテンション上がる事は無い。

この感覚を共有したいと思ってみんなに色々発破をかけるが、やはり、専門に突っ走っている。

ただその姿はとてもかっこいいし、目が輝いている。

ある意味うらやましい面もある。

「考えるより前にまず目の前の事をやる」という価値のある時間は現在しかないというのが、行動に反映されている様に思う。みんなはそんなことを考えている訳ではないが、結果的にそうなっている。

そういう姿は、将来が有る程度見える。コイツはすごい、○○になるだろう。とか。

僕を見て誰も将来どうなるかなんて分からないだろう。ブレにブレ、朝令暮改を繰り返し、結局僕は何のかっていう問いに僕を含め誰も答えられない。

その感覚がとても好きなんですがね 笑

2007年4月22日日曜日

たたいて崩して治して

そう。そうやって骨は強くなってく。

それと同じ様に人間も育って行くのかも。


って納得すると同時に、こういういわいる「例」って、立ち止まってみると、本当に意味あるのかなって思ったりする。

たしかに、直感的にはわかる。ただ、それって関係性が無い事を持ち出し、今の状況などにあてはめる。それっていいのか。

と、くどくど考えてしまったりする。

2007年4月17日火曜日

思った わかった

博士課程に所属しながら、TAしながら、自分の建築事務所をやっている人がいた。

というか結構身近に。

そんな人いるんだから、学部に所属しながら、ビジネスだってできるし、なんでも学べるはず。


できないときめるのは結局自分だけだ。

2007年4月15日日曜日

不思議だ

今日は一日生産的じゃないはずだったのに、そこでも自分の興味の方向に詳しい人と色々話す機会があった。

不思議だ。

もちろんありがたいことであるのだが。


結果から言うと、やっぱりアメリカ行こうって決めた。

そして短いスパンで自分にプレッシャーかけるのを辞めようかなって。

色々悩む原因に、時間軸ってのがあった。

なにぶん大きなことを「自分」が成し遂げたいと考えてしまうため、早く早くやりたいと思ってしまっていた。もちろんスピードって大事だけど、それとまた違う気がする。

僕の場合は、まず道を探っている状態。例えば、東京から大阪まで新幹線で行く場合は、線路も有るし、そこを過去に通ったって言う例はいくらでもある。そんな状態だったら、突っ走れば良い。でもなんかよくわからないロールモデルとかそういったものを追う訳でもないので、最高速度で突っ走ったら、大きな岩戸かヌマとかをよけれない訳だし、実は目指すものは逆方向に有る事を気がつかないかもしれない。特に僕の様に人間的に全くの発展途上の人はそうだと思う。

話は戻るが、アメリカに行くことについて。

経験者の方から聞いたところ、やはりワクワクした。世界から「学びたい奴ら」が集まるアメリカの一流大学。そんなとこ、ワクワクしないわけない。


昨日親しくしていただいている先輩に1ヶ月ぶりくらいに会って、言われた事も、自分のなかでは結構残ってる。建築をやって行くか、ビジネスの世界に入るか。そんな正直よくわからない悩みで迷っていた自分に、「どっちもやれば」って。

そんな選択肢は幾度となく考えた。でも捉え方が今日分かった気がした。

やばい。

面白い。

これからすごい面白い事になる予感がする。そしてそれをイメージとして、自己を管理するツールとして持てればと思う。

やっぱ俺若いな。無駄に動き、無駄に考え、無駄に悩み、無駄に落ち込み、無駄に喜ぶ。

でもその無駄って実はすごい大事だなって。

やりたいけど、無駄かもしれないことに一生懸命になれる人。それでいいなって。むしろそれが目指すべきところかもしれない。

それにしても不思議な一日だった。まだまだ続くが

欲張り

なのかも。自分。

でもしょうがない。


もっともっと目の前をしっかり見たい。ただ、先をもっと見たい。

どうすればいいのかわからないけど。

もっともっと。more and more.

それだけってよくわからない。


アメリカ行ってから本当に変わった。

なんて言っていいか分からないけど、今はただ思った事を思った様に。思った間隔で書くだけ。


「環境で人は変わる」って言うけど、それってちょっと違う。って後輩に言われて考えた。


結局は全ての環境はきっかけにすぎない。

「環境の変化は人を変え得る」って事だと思う。


アメリカ行ってやっぱり世界は広いってことを身にしみて実感した。行ってない時はただ、広いんだろうな、色々有るんだろうって思ってたけど、今は違うと思う。広いとか色々有るとかって正直どうでも良い事なのかも。

「結局自分はどうありたいか」って事だと。

そう考えると去年考えた事ってかなりぶれない事かも。

「大きな影響を与えれる人」
「常に変化する人」
「変な学生」(期間限定)

これはやっぱり前提として物事考えてるなって冷静に自分を見て思う。

そして、『自分のスタイルで、自然に』っていう、言葉を自分のなかにもってから、考えがとても整理され、行動も整理されて行ったと思う。

こうやって、「言葉」によって、影響されてしまうものだと。人間って奴は。

これは良い点でも悪い点でもある。

ゆとり教育の弊害もこの点から発生したもの。ここでは議論を進めないでおきたい。。。


さて、アメリカがもたらした自分への影響を日々感じながら、目の前の事から逃れつつ、先の事を考えている自分がいるのは認める。

この状態は果たしてなんなのだろうって思う。

自分を信頼しているけど、不安は有るし、今が重要だって良く分かっているけど、先を考えてしまう。人間の弱いところなのか、いいところなのか。

そんな事もわからないまま、こう書き綴っているこの時間。

ああ。もっと素直に生きたい。


時間を気にせずバリバリやる日本と、余暇を大事にする欧米。

一般論として述べるが、自分がどういうスタイルを目指すのか、っていうのも含めてよくわからなくなってきてる。

アメリカの旅は、自分のなかでは、3〜5年間どうやって行くかを決定する旅だと位置づけていたが、結局選択肢が増えて戻ってきた。ただ、それが一番の収穫だったのかも。


さあ。始めようか、今日も。